2014年4月9日水曜日

賢明な選択

エネルギー問題を考える時、いつも浮かぶのは、〈賢明な〉選択ということである。それは、〈懸命な〉選択でもある。
これまで、我々はエネルギーを産業社会発展の原動力と位置づけ、「どれだけ多くエネルギーを活用できるか」ということから、産出可能量を問題にしてきた。しかし、今は、環境汚染等の視点から消費可能量を考え、未来のエネルギー計画を練らなければならなくなった。
今日、多発している異常気象についても、予想をはるかに超え、いわゆる「想定外」の現象が起きているのではないか。(詳細は竹内均著「科学的思考とは何か」を参照ください)
未来からの警告は既に我々の頭上を通り過ぎているのではないだろか。
要するに、地球のもつ限界質量を超えた「エネルギー消費」が進行中で、その一端が異常気象として現れていると考えられる。
上図は2013年のエネルギー白書からの引用である。エネルギー白書は、
《今後も世界人口は増加する見込みであり、加えて新興国におけるエネルギー消費量も工業化やモータリゼーションの進展等により増加しています。このため、2030年の世界のエネルギー消費量は1990年の約2倍に達するなど、エネルギー消費量はこれからも増加し続けていくものと考えられています》といっています。
目視で、1900年ころ10億トンを切っていたエネルギー消費量が、70億人となった2012年には110億トンと約11倍になっている。21世紀に入ってからの気候変動は温暖化が喧伝されるように、顕著になってきている。それでも、その変動の起点として、竹内氏が前掲書で挙げた「60倍」を遙かに下回っているのである。
つまり、60倍なんてとんでもない話なのである。
真剣に維持可能な目標数値を明らかにすることが求められるのではないか。
さらに言えば、その際に、今ベースロード電源として位置付けられている原発(核エネルギー)について、改めて負荷のかからないエネルギー源として浮上してくる。この研究を絶やしてはいけない。
原発ゼロ=核開発ゼロではない。日本は、第一次世界大戦に参戦しなかった。善悪良否はともかく結果として技術開発に遅れた。二度の原爆被害に遭った。しかし技術開発に遅れることは許されない。このジレンマをどう解決するかが我々日本人の問題である。
要するに、問題設定と解決のタイムスパンをどうとるかによるのである。
自分が生きて居る間の事しか、体験できない。しかし、我々には未来を考える義務がある。
この問題は我々自身の生き方の問題でもある。
こうして20世紀を振り返ってみると、20世紀は人類にとって大躍進の世紀であった。
それは同時に、創り出された環境そのものが、多くの問題を創り出している。
その問題解決に新たなエネルギーが必要とされているのだ。
「エネルギー不足が問題を生んでいる」ということで、エネルギーの輪からは永遠に逃れられない。この輪から脱出するためには、結局、問題を解決せず、無為に過ごすことでやっと調和がとれる。
それは、人間が動物として活動することを止め、人間社会が、完全に自然の一部と化し、意識態として宇宙の一部として…

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