誰を、何を、どんな時、信じるか。
判断基準の問題である。判断するメカニズムを持っていなければ、情報は宝の持ち腐れになる。
情報はすぐに陳腐化する。陳腐化する情報の中から必要なものを取り出し、意思決定メカニズムを構築しておかなければならない。
情報に慣れ過ぎている弊害だ!
情報は共有できても全国一律に使用・運用できないのである。災害避難情報等は、その場の状況に合わせて、個別に適用・対応しなければならない。
情報を理解し、情報として生かせるか、つまり個人の能力次第ということになる。
情報を理解し、情報として生かせるか、つまり個人の能力次第ということになる。
上掲の毎日新聞の要点は次の通り
- 「避難準備情報」は出さない訳にはいかなかった。
- 人家に被害を及ぼすような土砂崩れはなく、市民センターへの避難者もいなかった。
- 「しっかりした情報を出してほしい」との苦言も寄せられた。
- 「同じ市内でも雨量の多い地域と少ない地域があり、少ない地域の住民は見た目の天気と気象情報の間に、ギャップを感じたかもしれません。しかし、5日間に計400ミリの雨が降った地点もある。これは6月としては過去最高で、年間総雨量の4分の1にも相当します。土中にかなり雨がたまっていた状況であり、土砂崩れの危険はあった」と浜野さん。
- 「自分の住む地域にどんな災害が起こり得るかを知っているだけでも、リスクの大きさは違ってきます」
- 自然災害から身を守るには、気象情報の収集力と判断力、どちらも不可欠のようだ。
個々人が情報を生かさなければならないのである。
情報との対話がなされなければ、情報ではないのである。
避難指示や命令はそれに従うことが求められ、判断する情報ではないのである。
一方避難情報は、情報である限り、行動を拘束するものではない。
次にどういう行動をとるかは個人の判断に任されている。
情報との対話がなされなければ、情報ではないのである。
避難指示や命令はそれに従うことが求められ、判断する情報ではないのである。
一方避難情報は、情報である限り、行動を拘束するものではない。
次にどういう行動をとるかは個人の判断に任されている。
情報は、受信者によってその意味が異なってくる。
例えば上記の避難命令について、その命令の対象者以外には、”避難命令”という一つの情報に過ぎないのである。
それをどう活用するかは本人の判断次第である。
一方、命令の対象者は、命令には従うだけで、判断してはいけないのである。
それが一般社会のルールである。
ここが問題である。この問題を解決しない限り、いつまでたっても精度不足は解消しない。
不安は解消しないのである。
精度が追い付かなくなり、精神病にかかってしまう。
神経症・精神病の主因は精度・制度にあるのだ。
それをどう活用するかは本人の判断次第である。
一方、命令の対象者は、命令には従うだけで、判断してはいけないのである。
それが一般社会のルールである。
安心と精度
精度を高めることが必要だが、そのためには個人の感知精度を高めなければならない。ここが問題である。この問題を解決しない限り、いつまでたっても精度不足は解消しない。
不安は解消しないのである。
精度が追い付かなくなり、精神病にかかってしまう。
神経症・精神病の主因は精度・制度にあるのだ。
天気の不安定は、人心の不安定の顕われなのか?
精度を高めれば高めるほど、当たらなくなる予報。
精度を高めれば高めるほど、当たらなくなる予報。
「明日は大体晴れるでしょう」で済まなくなった。
「いいかげんだ!!」と怒るというのが一般的反応になってしまった。
昔は、春先になると精神不安定になる人が現れたりして、人心が天候に左右されると思われていたが、現今は人の心が天候に現れるようである。
以前、オゾンホールで地球環境が破壊されていく様子が衛星写真で報じられた時、人間の心の汚染が環境汚染として現れていると我々の生き方と環境問題とを結び付きが示されたが、現今の異常気象、気候変動はその結びつきをはっきりと示すものである。
昔から、「女心と秋の空」とか「男心と秋の空」などと、季節と心の結び付けた形容がされてきたが、
現今ではその適用が逆転している。天気に左右される存在ではなく、転機を左右する存在になっている証拠であろうか。そのためにかえって、安心からは遠ざかってしまった。
安心の定義も変えなければならなくなっているのである。
「いいかげんだ!!」と怒るというのが一般的反応になってしまった。
昔は、春先になると精神不安定になる人が現れたりして、人心が天候に左右されると思われていたが、現今は人の心が天候に現れるようである。
以前、オゾンホールで地球環境が破壊されていく様子が衛星写真で報じられた時、人間の心の汚染が環境汚染として現れていると我々の生き方と環境問題とを結び付きが示されたが、現今の異常気象、気候変動はその結びつきをはっきりと示すものである。
昔から、「女心と秋の空」とか「男心と秋の空」などと、季節と心の結び付けた形容がされてきたが、
現今ではその適用が逆転している。天気に左右される存在ではなく、転機を左右する存在になっている証拠であろうか。そのためにかえって、安心からは遠ざかってしまった。
安心の定義も変えなければならなくなっているのである。
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